ぼーっとする時間
僕が苦手としている
「ぼーっとする」時間。
20代中頃に入り、それまでとは一変、夢中になって取り組みたいことがあったので、
そんな無駄な時間はないと否定し続けていましたが、
最近はそういう時間を取っていないことは、
自然でないというところに落ち着いてきています。
自然でないということは、
氣の循環も滞ります。
今年の初めくらいから、
田中さんに太陽礼拝と滝と呼吸とを教えてもらい、
暇がある時にそういう時間を取るようにはなっていました。
太陽のエネルギーを浴び続けることで、
自然と太陽と一体となってくるまでやる。
そうやって、地道に今も隙を見つけては、
寝転べそうなところを見つけて、寝っころがっています。
田中さんが言うには、
このぼーっとするというのは、
「入静」と「放髭」という氣功の概念なようです。
僕はこのような概念とはある種真逆な生活を続けていたので、
地道に続けていくことで、少しでもぼーっとしてくるでしょうと取り組んでいます。
最近はようやく、少しぼーっとする時間自体が、
心地の良いものなんだなという感覚になりつつあります。
練功の1種である、「站椿功」も「立つ」という単純な鍛錬の1つですが、
これもまた、やってる感じはぼーっとするというところに通じている感覚があり、
色んな角度から、「ぼーっとする」を学んでいる感じがします。
ぼーっとできていると、楽に立てる、呼吸が深くなる、心地よい、無駄な力みが抜ける、自然のエネルギー。
色んなキーワードがボーっとするに含まれているような感じがあり、そのことそのものに面白さを感じます。